AKB48 チームBのファンより

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『雨のピアニスト』『さらば恋人』に見る責任の所在(ときめき研究家)

2009-05-19 23:15:39 | ときめき研究家
『雨のピアニスト』が名曲であることに異存はない。
ナッキーさんは「悪いのは僕」のルーツを、堺正章『さらば恋人』の「悪いのは僕の方さ 君じゃない」に発見している。
私も似たような用例がいくつか浮かんだので、列挙してみたい。

まずは、積極的に責任を自認している歌。
尾藤イサオ『悲しき願い』は和製ロカビリーの名曲とされている。「誰のせいでもありゃしない みんなおいらが悪いのさ」。潔いのか投げやりなのか。堺正章とどっちが古いのだろうか。
菊池桃子『SUMMER EYES』(秋元康詞)。「君のせいじゃない 言い出せなかった 私がいけないだけよ」「悪いのは私 困らせてばかり ごめんね好きだったこと」。昔から謎めいた歌詞と思っていたが、要は片思いの彼にようやく告白したが断られた歌なのだ。それは確かに彼のせいではない。
岩崎宏美『春おぼろ』では、父親がけんもほろろだったことに対して「怒っているでしょ ぶってもいいのよ」と懺悔している。それは流石に貴女のせいではないのではないか。

チェッカーズ『ギザギザハ-トの子守唄』。「わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか」。これは責任を認めてはいないが、悪くないと開き直ることもできない苛立ち。

一方、責任の所在を相手に求める歌もある。
松田聖子『風は秋色』では「泣き虫なのはあなたのせいよ 震える心愛のせいなの」と責任転嫁しているが、これは愛の告白のレトリックに過ぎない。
山口百恵『プレイバックpart2』では、交差点で接触事故を起こし「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ」と主張。確かに交通事故では、損害保険のために過失割合の明確化が重要である。

どちらのせいにもせず、仕方なかったという総括もある。
中島みゆき『誰のせいでもない雨が』。「誰のせいでもない雨が降っている 仕方のない雨が降っている」。これは社会派の歌。時代のせいということか。
佐野量子の『四月のせいかもしれない』(これも秋元康詞)では「君じゃない 僕じゃない 誰も悪くない」そして「四月のせいかもしれない」という結論に至っている。しかし最後に「ごめん」と歌うのは、やはり責任を自認しているのか。

そしてAKB。
『好きと言えばよかった』では「きっと私が間違っていた」と反省し、『Two years later』では「どうぞ神よ許したまえ」と懺悔している。『Only today』では「迷惑と思うよね・・・・・誘ってごめん」と素直に謝っている。

会社では、自分の責任を積極的に認める人は珍しい。むしろ、責任の所在が不明確な場合は、自分はやるべきことをやったので責任はないと主張することが重要視される。会社が組織である以上、責任の所在をデジタルに明らかにすることが、組織を正しく機能させるためには必要なのである。

「ちゃんと伝えた」ことでも、相手がそれを十分理解していなければ「伝え方が悪かったのかも」と思ってしまう。部下が仕事をミスすると「指示の仕方が悪かったのかも」と思ってしまう。
こんなことでは、真っ赤なポルシェの修理代を全額請求されてしまう。
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